家族になれないなら、家族的で。

家族になれないなら、家族的で。

みなさん、こんばんは。崖っぷちのOT林です(@tyahan56)

久々の更新です。
おかげさまでコロナ感染で救急搬送されたた妻は無事に退院しました。咳は残っているけど、微熱とか味覚障害などコロナ後遺症はありません。
お腹にいる赤ちゃんも順調ですくすくと成長しています。

さて、本題に入ります。
以前、草彅剛さん主演のドラマ「任侠ヘルパー」を毎週欠かさずに見ていました。
好きなドラマの一つで、介護業界に携わっている人なら、一度はご覧になったことがあるかもしれません。

ドラマのある場面を見ていた時のことです。

新米のヘルパーが利用者のためにどんなに最適なケアを行ってても、利用者に関係を切られてしまうという場面で、

あるオーナーが、

「結局は家族になれないのよ…。」

というセリフを聞いたときのことです。

「家族になれない」という言葉に対し、ある意味いろいろと考えさせられました。

高齢者ケア現場で勤務しているスタッフの皆は、口を揃えて「家にいるような環境作り」を目指して実現していることでしょう。
基本理念の一つとして取り上げられている施設やホームが多いと思います。

でも、ホームに限らず病院もそうですが、生活の場であっても家ではありません。

施設も病院もどちらもケアを提供する場であり、普通の生活のように自由に利かないはずです。

例えば、就寝時間に入ると消灯、決められた時間に食事やおやつ、トイレへの定時誘導など。
共同生活の場ですから、利用者や患者が思うように自由が利かないので、利用者や患者はある程度、我慢していただくことになります。

我慢するということは、制限のある生活を送っていくことになるわけですね。

ケアやリハビリをする際にも、利用者のために必要以上に深く関わるのはいいことですが、注意しなければならないのは…、

家庭的であって家庭ではない

 

家族的であって家族ではない

ということです。

利用者の家族として信頼関係を構築するよりも、家族ではないけど、『家族的』に関わったほうが、最適なサービスを提供できるのではないかなと思います。

もし自分の親を自分が担当することになったら、客観的な評価ができなくなってしまうかもしれません。
なぜなら、思い入れが強いと客観性を見失ってしまうからです。

逆に考えると、一人の利用者に対して家族ではないけど、家族的であれば客観性を見失うこともなく、心身機能面をプロの目で判断し最適なケアを提供できるはずだと思います。

たとえ利用者の家族になれなくてもいい。
本当の家族になりたいのなら、のつく家族的で利用者と接して親しみを持つといいかもしれません。

そのほうが気持ち的にケアしやすいかなと思います。

また任侠ヘルパー、新シリーズ見たいなぁ。
もちろん主演は草彅さんで!


最後までお読み下さりありがとうございました。
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